はじめに
(この章 小林 司訳)
  1987年に出した私の著書である”La Homa Vivaventuro"(人間の生きかた)の第7章に、「世界平和の特殊な要因としてのエスペラント普及運動」について記しました。そこでは、エスペラント(E)の思想的な面、ないしは内在思想についての説明もしないで、いきなり、世界平和のためにエスペラント普及運動がどんな役割を持っているかについて述べ、また、 ザメンホフ(Z)が抱いていた もう一つの思想であるホマラニスモとエスペラント普及運動の役割とが どういう関係にあるか、ということを書きました。 この本では、それをもっと詳しく説明するために、ZのE普及運動の思想面を 多数の言語学的研究と簡潔に比べてみました。ホマラニスモを復活させようという特別の努力をしないかぎりは、ホマラニスモはすっかり忘れさられており、Eの内在思想は、公式の大会で 聖歌 ”La Espero”(希望)が歌われる時にだけ 僅かにほのめかされるにすぎません。
 私は、この本で、Eの内在思想について、また、ホマラニスモについて述べていきます。このことは、Esperantismologio(E普及運動の思想面を研究する学問)に貢献することになるし、また、言語的な面だけを扱っているesperantologio(エスペラント学)には欠けている 重要な面を補うことになる とも思っています。 この本によって、私は言語Eの思想面についての研究を始めたいと思います。本書が出た後で、もっと重要で広範な研究が続出するといいと思っていますから、E普及運動の思想的研究をEの言語的研究なみにまで発展させたいものです。この点に関しては、ロシアの古い雑誌である"Ruslanda Esperantisto"(1906年第6号, p.102-106)および、pvz(「Z全集」)の第7巻からの引用に表れているホマラニスモについてのZの意見を 次に記しておきましょう。編者Ludovikito(いとう かんじ)の努力による この「ザメンホフ全集」がもし無かったら、私はこの研究を進めることができませんでした。
 ホマラニスモに関してのZの考えは 次のようです。
「ホマラニスモの本質と目的については、疑いもなく多くの先人達が遅かれ早かれ書いている膨大な著述が必要ですから、ここで多くを語るつもりはありません。主題があまりにも大きいので、私がどんなに多くを話しても、必要な説明の百分の一を語ることもできないでしょう。ですから、ホマラニスモについて 少しずつ説明していくことは 他の方や、他の機会に任せたいと思います。したがって、ここでは、Dさんの書いた論文が引きおこした誤解について簡単に述べておきましょう。」(「Z全集」第7巻、p.309 )
 これを読んだときに、E普及運動の思想的な面は、言語としてのEを広めるのに非常に重要だ ということを私は確信しました。また、「人々を相互に理解しあえるようにして世界平和をもたらす」というZの目的を達成するためには E普及運動の思想的な面が特に重要だということを確信して、私はこの本を書きました。
 人類の将来を展望し、E普及運動の役割を見定めて、私はこの本に"Esperanto en Prospektivo"(「エスペラントの将来展望」)という書名を選んだのです。
                                             (この章 小林 司訳)
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                                 序章    (この章は山崎良文訳)

 エスペラント(E)とは何でしょうか? Eは、ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ博士(Z)が創った国際語であり、1887年に公表されました。これは、言語であるだけでなしに、思想でもあり、さらに色々の観点から見て内在思想を持った言語、内在的言語を持った思想、或いは単なる言語にすぎない、とも考えられます。
 ZがEを発表した最初の本である、いわゆる「第一書」(1887)を出版してから既に百年経ちました。その間に、Eという言語は円熟しました。E運動もまた成長し発展しました。その100年の経過の中には色々の事件がおきました。2回の世界大戦を経験し、生活についての概念及び思想の大変革がありました。ナチスの思想が生じたり、滅びたりしました。マルキシズムがはびこり、この100年の間に最大の歴史的要因の役を果たしました。また、資本主義も発展しました。科学及び技術が非常に発達したので、それらは最強の社会的要因ともなりました。現在の世界の特徴は、社会システム或いはイデオロギーよりも、むしろ技術の進歩です。社会システム(資本主義システム及び共産主義システム)は、同じ技術的発展を内蔵しています。しかし最も重大なことは、科学的、技術的繁栄そのもの、もっと具体的に言えば、戦争に応用された原子力エネルギー、核エネルギーによって引きおこされた文明への脅威であります。
 E運動については、次のように言うことができましょう。Eは次第に栄えはしたものの、社会的要因としてみれば、Eより数十年前に誕生したマルキシズム(共産主義宣言の公表の日付けは1847年)が地表の殆ど二分の一を征服したのと比べれば、影響が小さかったのです。
 言語E自体は満足出来るものであり、言語はしっかりしていて、広い範囲にわたる、軽視できぬ文学を持っています。
 1900年にZが書いた「国際語思想の本質とその将来」を翻訳したものは、国際語Eが必要だという基本的考えを広報するときの論拠として、今なお生きています。16条からなる文法については、大部の著作「Plena Analiza Gramatiko de Esperanto(エスペラント文法の完全分析)」を引用できるでしょう。ところが、Eの内在思想については、手に入る論文が殆どありません。Zは、この思想について、1906年ジュネーヴでの第2回世界E大会前の未発表の談話の中で述べています。
 Zが個人的にEの内在思想を、どのように理解していたかについての説明は、この大会では発表を停められたようです。その時以来Eの思想については、1912年のクラクフ(Krakovo)大会でZが次のように述べただけで、その後は展開も定義もされていません。 「E普及運動の思想の本質は何でしょうか。そして中立的、無民族的言語の基礎に立った相互理解は人間をどのように誘導するのでしょうか? 私たちは、今日この沈黙した、しかし厳かな深い感情に対して十分な注意を払いましょう。そうして理論的な説をもってそれを冒涜しないように心がけましょう。」(OV.P.411)
 Eは、内在思想を伴う言語でしょうか、或いは内在的言語を伴う思想なのでしょうか、或いは、単なる言語なのでしょうか、という質問については、文法的研究とは対照的に、殆ど論じられたことがないのです。しかし、もし、Eの言語的側面が重要ならば、思想の面もまた重要なのです。なぜならば、Eの内在思想が内に秘めている目的を将来達成するまでに会員の募集や普及が成功するかどうかは、むしろ思想面にかかっているからです。この100年を通じて、Eはユネスコによる承認の他には、何れの国の政府からもまだ公認されることに成功していません。
 Eが現れた時代に生まれた社会的問題は、この100年間に増加し、問題は今日人類にとって最も重要なものとなっています。
 しかし現在のE普及運動は、社会的事件に背を向けているようです。現在、戦争と平和、各国民の相互理解、統一と多様性を伴なった社会環境における意図的な人類の統一の目的等が最重要課題となっています。人類は一団となって、これを解決すべき時なのです。それなのに、E普及運動は、これら社会的事実に留意していません。聖歌"La Espero"が指摘するところにしたがって、Eこそが新しい文明を導入する最も重要な精神的、思想的運動になるのだ という論議を世間は無視しています。”La Espero”では、「中立の言語の基礎の上に立って、諸国民は合意のもとに、一つの大きな家族的なサークルになるでしょう。」と謳われています。
 Eの特徴についての疑問。単なる言語なのか、内在思想を持つ言語なのか、言語を内蔵する思想なのかということは、当然のことながら、言語の面についてと同様に論じられねばなりません。なぜならば、Eにとって真に重要なことは、Eの目的である「人類の自由な、平和のうちでの統一」を成功させるために世界中へEが普及されることでありますから。                                                                                     (この章は山崎良文訳)

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