『ザメンホフ通り』が翻訳・出版されるまで


                   監訳者:青山 徹・小林 司・中村正美
 この本はもともとはポーランド語で出版され、のちエスペラントに訳され、2003年の世界エスペラント大会で評判になったものである。04年秋には、リトアニア、クロアチアでエスペラント版からの翻訳が出ており、他数カ国でも翻訳が進行中である。
 この本はエスペラントを創ったザメンホフの孫のザレスキ・ザメンホフへのインタビュー形式になっている。1942年当時、ワルシャワのザメンホフ通りは、ユダヤ人たちをトレブリンカ「最終解決」センターへ輸送する列車に乗る積み替え広場へと導いていた。ザレスキも同じように歩かされたが、全く奇跡的に死への旅路から生還できた。その体験記と、その後のザレスキの専門になった建築関係の話やホマラニスモなど、エスペラントの思想的なこと、歴史的なことなども本書には記載されている。
 
 当初、小林がポーランド放送のバルバラさんから、このエスペラント版を贈呈されたのがきっかけで、反ファシズム、民族差別反対、反戦、エスペラントの広報に役立つ、の理由で翻訳する価値があると考え、これの共同翻訳を青山、中村に提案、プロジェクトがスタートした。共同翻訳方式としたのは、一人あたりの負担を減らすことと、訳者相互間の連帯感を強め、知恵を共有しようとしたからである。実際、共訳者の中には色々な分野の人がいたので、解決できたことも多かった。たとえば、「涙の谷」ということばを誤訳しかけたが、聖書の詩篇にある単語だと知っている訳者がいたし、また、PSコンクリート関係の術語については広瀬謙次郎が専門だった。
 まず、「ネットに公開するだけなので、無料で翻訳を許可してほしい」と原著者2人に頼むのが最初の難関だった。次の難関は翻訳者を集めることだった。条件としては、翻訳能力があることと、メールが出来ることだった。データのやりとりなどのためには、どうしてもメールが必要だったので、情報交換のためにメーリングリストをたちあげた。
 候補者の選定依頼を複数の人に依頼し、結果的に67人が参加した。先ず2003年12月に翻訳箇所のコピーを分担者に送付、2004年1月末を締め切りとした。一人当たりの割り当ては原書4ページほどで、正月休みに翻訳してもらった。一人の脱落者もなく、締め切りまでにすべての訳稿が揃ったのはすばらしいことである。その後、この翻訳はホームページに公開され、同時に、3人の監訳者を中心として、皆で訳を改善していった。

 また、原書には間違いがいくつかあった。これらの指摘や、ポーランドの制度や風習についての質問などで、ザレスキとの質疑応答が23通、ドブジンスキとは70回ほどのメールが往復した。ザレスキはメールを出来ないので、すべてファックスに頼ったが、これがなかなか巧くつながらなかった。その間、朝日新聞(5月17日)、同社のホームページasahi.com(5月23日)International Herald Tribune(6月5日)週刊金曜日(6月4日)、Yahoo Japan (6月29日)などに、このプロジェクトについての記事が掲載された。IT時代にふさわしく、メールを利用したことや、ゲットーの悲劇などが話題を呼んだためである。驚いたのはホームページの威力で、asahi.comに記事が載ったとたんに、1日3000人がホームページに殺到、2005年1月15日の出版までに13000人がアクセス。それらの影響もあり、萩原洋子が奔走した結果、原書房が単行本を出してくれることになった。

 原本には写真が4葉しかなく殺風景だったので、写真を45葉載せた。ザレスキの建築物の写真は、彼の娘さんに添付ファイルで送ってもらった。本に載せたゲットーの貴重な写真は、ドブジンスキに頼んでワルシャワの「ユダヤ歴史研究所」の秘蔵写真コレクションから借りてもらった。彼にはこれらのことに関し、色々頼まねばならず、人知れぬ苦労があった。訳書には萩原が小見出しをつけて、読みやすい形にした。
 2005年のリトアニアでの世界大会では、各国のこの本の翻訳者を集めて、「ザメンホフ通り分科会」をしようと、リトアニア版の翻訳者のダリアさんが企画している。

 こうして2005年1月15日には、立派な装丁の邦訳(454p.)が原書房から出版された。出版が1月になったのは出版点数の少ない時期を選んだためである。また、本プロジェクトに参加しての感想などを関係者63名が執筆した『それぞれのザメンホフ通り』も沖田和海、望月正弘の努力により、同時出版され、これも好評であった。
 Ulrich Linsには特別寄稿の執筆を、庄子時夫にはホームページ作成・メーリングリスト立ち上げを、井崎倫子、沖田和海には数千箇所に及んだ日本語修正を、Igor夫妻にはポーランドの固有名詞の発音表記を、渡辺克義には注の一部と発音の修正を、などたくさんの人のご協力をいただいた。日本のエスペラント運動が始まって100年になるが、かつてこのような大勢の協力による立派な市販本が出版されたことは一度もなかった。皆の力で完成したことを感謝し、ともに喜びたい。

  なお、共同翻訳者は下記のの67名である。相田 清、相田弥生、相原美紗子、青山充子、青山 徹、足立恵美子、石川一也、石川尚志、石野昌代、伊藤哲司、犬丸文雄、岩谷 満、及川ゆき子、大滝ちあき、大西真一、大庭篤夫、大庭滋子、沖田和海、川西徹郎、紀太良平、木村明敏、木村護郎、栗田公明、黒柳吉隆、釼持建作、小金井真理子、小林 司、小林真彦、斎木 彰、斎藤 直、斎藤ツメ、斎藤 泰、阪 直、雀部俊樹、佐野 寛、島谷 剛、杉谷洋子、田知本正夫、田所作太郎、タニヒロユキ、田平正子、津田昌夫、中塚公夫、中野賢二、中村大真、中村正美、萩原洋子、硲 大福、林 周行、原田英樹、平山智啓、広瀬香苗、広瀬謙次郎、藤巻謙一、星田 淳、堀 泰雄、松木義信、村田和代、望月正弘、盛脇保昌、矢崎陽子、山口美智雄、山崎基弘、山崎 勝、山田 義、山本辰太郎、横山裕之。

inserted by FC2 system