世界大会と私

横浜大会を目前に

 私が世界大会に最初に参加したのは65年の東京での世界大会(UK)である。しかし、私は大会の前に東京から京都に転勤になったので、準備作業にはあまり関わっていない。国際青年エスペラント大会(IJK)が大津市で行われたが、両方の大会に出ると休暇は2週間は必要になる。就職間もない身としては、そうも出来ないので、UKに2日、IJKに3日ほど参加した。
 UKの会場は農協会館、日経ホール、上野文化会館などと分散していたが、あまり混乱はなかったようである。この時はUKについての印象はあまりないが、外国からの出席者はお年寄りが多い、と思った。その頃の日本のエスペランチストには若者が多かった。
 IJKは人数も少なく、若い人が多かったので、楽しかった思い出が多い。これらの大会を機に日本人にも以後のUKなどに参加したり、外国のエスペランチストを訪ねたりする機運が出来てきた。私は転勤する先々で地元エスペラント会には所属していたが、在職中はUK参加は及びもつかなかった。1週間の休みもなかなか取れない環境だったからである。
 私は91年頃よりドイツの Dieter Berndtさんと文通していた。彼は旧東ベルリンに住んでいたが、東西ドイツ合併を機に退職している。99年のUKはベルリンで行われることになっていた。Berndtさんは是非、来いと誘ってくれた。実は93年に海外研修旅行の時にベルリンにも寄ったので、その時、彼に会って、自宅へ招かれたことがある。
 99年には私もちょうど退職年齢になるので、大会直前の6月に退職する手筈を決め、家内とともに参加した。JEIの karavano に参加したが、この時は postkongreso(大会後観光)ではなく、antau^kongreso(大会前観光)に参加で、ロマンチック街道巡りであった。フランクフルト空港に着いた時から、色々な国のエスペランチストと顔を合わせた。その後の旅行中も色々な人と話をしながら、退職して自由になったのを実感、また、こうした一つの言語で色々な国の人と話しているのを知人にどう知らせたら分かってもらえるのか、と思った。
 旅行が終わり、ベルリンに着いて、Berndtさんにも再会し、家内ともども彼の家へ再度招かれた。始めての大会フル参加だったので、出来るだけ色々なプログラムに顔を出した。どのプログラムも新鮮であった。驚いたのは講演者の話すスピードである。私には彼らの話すスピードはほとんど機関銃の感じがした。確かに、放送でも中国国際放送よりはポーランド放送の方が話すテンポはずっと早い。大会大学ではまわりがドッと沸いているのに、一人ぽかんとしていたこともある。でも毎回大会大学には顔を出している。また、昨年のリトアニアでの Litova eksprese のような、大会の国の言葉を速習する番組は楽しい。出席者の中には言語に強い人も多く、意外な質問も出る。
 その後2001年のザグレブ、2005年のヴィリニウスに参加した。やはり、日本のサラリーマンにとっては在職中にUKに参加するのは難しい。欧米の人は夏休みは長く、また休暇を取りやすいようである。それでも、UKに参加しているのは、日本だけでなく、外国の人も年配者が多い。また、ヨーロッパで大会をやる場合は陸続きなので、遠くの国からいくつもの国境を通って、自動車で来る人も多い。日本とは環境が違う。
 英語も通じないような外国の町を歩いていると、楽しくなってくる。それでもビールや水、食料などは買える。それもまた楽しい。
 横浜UKでは今まで自分が享受して来たエスペラントの恩恵を外国から来た人にも十分に味わってもらい、日本を知ってもらえたら、と思う。今までUKに参加したことがある人はその経験を生かし、自分で手伝える範囲のことをすればよいのではないか。また、この機会に外国でのUKに参加できない人もぜひ横浜大会には参加して、UKというものを知ってほしいと思う。やはり、エスペラントというのは勉強するものというより、実際に使って初めてその意義を実感できるものだからである。
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